ストーリー

 

小さな「町工場」から全国1位の会社になるまで

宇根自動車の歴史

きっかけは夢を諦め地元へ戻り、家業である自動車整備の手伝いから

弊社、宇根自動車のホームページをご覧になって頂きありがとうございます。代表の宇根 真一です。ここでは私個人のこと、弊社のことを少しお話させていただきます。どうぞお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
宇根自動車の歴史

宇根自動車は、本部町内にて自動車整備工場として。父が1979年27歳で創業し、40年以上を迎える会社です。私の学生時は、整備どころか車にも興味はなく、「競輪選手」になるのが夢でした。でも、その夢を諦め、なんとなく地元に戻り家業である自動車整備を手伝い始めたのがきっかけです。

宇根自動車の歴史

18歳で自動車免許を取得後、マイカーを『イジル』ようになり車への興味は強まりました。職業訓練校に進学し、国家資格である自動車整備士2級を取得後、20歳で愛知県名古屋市へ渡り、自動車整備会社で実務経験を積みました。

私は、沖縄・本部町という地元が大好きです。地元で一旗あげたいという強い気持ちで当然のように宇根自動車を継ぐつもりで26歳で帰沖。

町内には同業社が8社あり、その中でも当時、弊社だけが指定工場(民間車検場)でなく、車検業務である完成検査は1台1台、2時間弱かけて浦添市にある陸運事務所に車を運んでいました。時間とコストがかかりお客様に、良いサービスができない。自動車整備工場では致命的です。

変革のために出来ることは何でもやる!

当時、父は私が家業を継ぐことを反対していました。車業界、この仕事の大変さを知っている父は、あえて息子に苦労はさせたくないという気持ちだったのでしょう。でも私としては、これ以上、下降がない会社。これからいくらでも変革できる。むしろ上昇しかない会社。と捉えたため、承継しない理由にはなりませんでした。
宇根自動車の歴史

それから私の改革が始まりました。まず初めに手掛けたのは指定工場(民間車検場)への認可業務からでした。それから法人化、鈑金塗装の内製化、新車販売など、とにかくできることは何でもやる。

おかげさまで、地元の同級生や知り合いが徐々に利用してくれるようになり、社員も増えました。地域に密着した会社だけに、本部町には何か恩返しをしたいと思っていた30代。商工会青年部の部長という大役を仰せつかりました。自社の利益だけ追及しても結局、継続しない。

小さな「町工場」から、全国加盟店から視察を受け入れるまでの企業に成長

私自身、この町で子育てもしている一人の住人として、地域のために働いてこそ会社も発展するのではないか!?という想いから、任期2年の青年部長を延長し4年務めさせていただきました。その期間に、一経営者としてだけではなく、本部町・北部地域そして沖縄全体のことを考える視座を持てるようになったのは貴重な経験でした。

宇根自動車の歴史

またその間、現場の運営は大変でしたがスタッフ一同団結し、私がいなくても運営ができる体制ができてきたのも大きな収穫でした。

その後、商工会でお世話なった仲間たちの協力もあって、2017年6月には名護市に2号店を出店。全国の自動車販売会社が1100社以上加盟している(株)オリコオートリース主催『コアラクラブ』に加盟。

2018年 新車オートリース販売台数 全国3位。九州1位ダイハツベストピット店 販売台数 全国1位

の成績を達成。小さな「町工場」から、全国加盟店から視察を受け入れる企業に成長しました。

全国から来店いただく、加盟店のみなさまには「沖縄のこんな小さな商圏で全国1位の会社があるなんて!」とよく驚かれます。ただこれは、同業者だけではなく我が社で働くスタッフみんなが、口を揃えて言うセリフです(笑)

2022年7月には敷地面積720坪に指定工場を完備した3号店を沖縄市池原にオープン。沖縄を代表する自動車会社になる事を目標に宇根自動車はさらに走り続けます。